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| 現地レポート'98 | テーマ別交流 | ある日調べ | みんなのひろば |
| 1998年11月19日までの活動のまとめ 自分たちのくらし、社会の中での「つながり」について、考えました。 ウォレアイで今も当たり前のように行われている「近所づきあい」「助け合い」の慣習から、日本の子どもたちは、便利な生活、ゆたかな生活と引き換えに、失ってしまったものに気づき始めました。人と自然とのつながり、人と人とのつながりを大切にすること。ウォレアイにはまだその両方があり、人々は「こころ」を持って人にも自然にも接している生活を送っている、ということがわかりました。 また、このプロジェクトのホストである河村さんから、「100年後の子孫、あるいは地域、社会に何を伝えていくのか」という質問が、プロジェクト参加団体に投げかけられました。ミクロネシアの子どもたち(現在、米国へ留学中の男子も含む)は、自分たちの生活や文化をこれからも続け、先祖がそうしてくれたように、自分たちも子孫へ受け継いでいく、と答えました。 米国の中学校教師から、自分たちが目指したい社会、価値観を追い求めていくうちに、将来の社会づくりにおいて、「教育」が大切な位置を占めてくること、「こころ」という観点から見直す必要があるのでは、とコメントを寄せました。これに対し、日本のある参加団体は、「ゆたかさ」と「こころ」の意味を子どもたちと共に考えながら、自分たちの目指す社会づくりを探っていこうと、メッセージを送り、ミクロネシア出身の青年は、工業国の貧しい人々をどう考えるのか、と問題提起がありました。 「本当のゆたかさとは何か」についても話し合われました。米国や日本といった工業国で、シンプルな生活を実際に選択し実行できるのか、についても考えました。 物質的なゆたかさがなくても心ゆたかに生活しているウォレアイの人々と、モノに囲まれた暮らしをしている自分たちを比べながら、子どもたちだけでなく、大人たちも一緒に、この普遍的なテーマについて、今後さらに議論を深めていきます。 |
| 書き込みの抜粋 |
| 日本/東京都 板橋区立エコポリスセンタ(98/11/14) | “自分たちのくらし、社会の中での「つながり」について” (京都教育大学附属桃山中学校のしょうたろうくんのコメント) 地域の環境づくりやリサイクルの取り組みには、みんなの協力が必要です。 近所とのつながりって、何で最近の都会では無くなってきてしまったのでしょうね。 特に人に助けられなくても暮らしていられると思う人にとっては、近所づきあいはわずらわしいだけで、普段そのメリットはあまり感じられないのでしょう。都市というのは直接他人に頼らなくても暮らしていける便利なしくみがいろいろ発達しているところだから。人間だけに都合がいいようにつくられた「しくみ」に頼って生活しているのはとても怖いことだと思います。 それぞれの地域の生活の中での良い習慣、知恵、関係など思いつくところがあればまたぜひ紹介してください。 |
| 日本/京都府 京都教育大学附属桃山中学校(98/11/16) |
| <担当者/廣川伸一より> (板橋区立エコポリスセンターの河村さんのコメント) 現代の日本やアメリカの暮らしのなかでは、暮らしのシステムが複雑で見えにくくなっているのと、さまざまな生活の局面や情報の多さに目を奪われて、全体的な関係やつながりに対する視点や配慮が欠落しがちなのでしょう。上の報告や他のテーマのなかにも人の暮らしと自然との関係、人と人の関係、現在と過去や未来との関係、人が消費するモノの資源から廃棄までのつながり、と、さまざまな関係性の問題があるようです。 都市に住む我々が、充実した生活を送っていないと感じるのは、毎日のくらしの中に、自分で掌握できていないことが多すぎるからではないでしょうか。あふれかえる物質、複雑に入り組んだ関係、これらが、生きることの本質から我々を遠ざけているように思えます。 ウォレアイからのレポートを読んでいると、物質的な繁栄と引き替えに、我々がなくしたもの−暖かい人間関係、ゆたかな自然、あたりまえの生活を堪能すること等−がいかに貴重であったかを痛感します。 生徒のあきひろくんも同じようなことを感じているようです。 「くらしがゆたかというと、ぼくは、家などが充実した設備になっていることと思ってしまうけど、本当のゆたかさと言えば自然のことかな・・・ |
| 日本/香川県 岩黒中学校(98/11/12) |
| “「ゆたかさ」について” <中学1年生のあきひとくんより> 電気を完全にひくなど、生活の便利さやゆたかさを求めてきた人(日本人など)は、ゴミを飛躍的に増やし、心のゆたかさ・余裕がなくなってきています。日本人の中学生の中には、自殺という愚行を犯す子どもも少なくないのです。 だから、ウォレアイの現状の「完全に電気なしの生活」などを続ける方が良いと思う。ぼくは、生まれた時からゆたかな生活に慣れてしまっているので、中毒患者みたいに、もうウォレアイの環境では生活できないでしょう。なぜなら、「人間は、一度、ゆたかさ(便利さ)を覚えると、それが当然になり、元の不便さを受け入れられなくなる」と、思うからからです。もし今が幸せならば、ゆたかさ・便利さを覚えない方が、幸せな場合が多くありそうな気がします。 |
| 日本/東京都 板橋区立エコポリスセンター(98/11/16) |
| “100年後の子孫のために何を伝えていくのか” <担当者/河村信治より> 「100年後の子孫たち、あるいは地域、社会に何を伝えていくのか」 ・・・地域間の公正、世代間の公正、という命題があります。 私たちはたとえ自由といっても、その実現のために他の地域の人たちの人権をおびやかすことはしてはならないし、同様に自分たちの世代の満足のために、後の世代の人たちの生活をおびやかしてはならないということです。だから私たちには、少しでも良い環境をあとに残していかなければならない責任があります。 「持続可能な社会」の実現は、私たちにとって夢や希望ではなく、使命です。 私たちは「循環型」のシステムを見習う必要がありますが、同時に文化の多様性を認めながら支え合っていかなければなりません。 人の助けを不要だと思った都市住民は、コミュニティーの文化を失っていました。 さあ、これまでの報告や議論をふまえて、もう一度自分たちの身のまわりを点検してみてください。
さまざまな地域から、みんながそれぞれのアイディアと知恵を持ち寄って、自分たち自身では何ができるか、お互い協力して何ができるか具体的な行動について考えたいと思います。 |
| 米国/テキサス州 ジョーイー・タリメリッシュ(ミクロネシア連邦ヤップ州イファリク島出身)(98/11/18) |
| 100年後の子孫に何を残していきたいかという、河村さんからの質問に対するぼくの答えは、以下のとおりです。 (ミクロネシア連邦ヤップ州にある)ぼくの島、イファリクでは、各家族が、かつては昔の人々によって使われていた土地を、それぞれが持っています。彼らはその土地で暮らしてきたので、ぼくは(昔の人たちがそうしてくれたように)ぼくの子孫にも同じようなことをしていきたいと思っています。ぼくの土地を有効的に使えば、子孫がその土地を使えます。 2番目に、ぼくの子孫のために、ぼくが今も練習したり学んでいる伝統や文化を守りつつ、変えていこうと思っています。ぼくたちみんながぼくたちの文化を尊重していて、できるかぎりその文化を守っていきたいと考えています。 3番目に、ぼくは、どのようにその土地に住んで、その文化を守っていけばよいのかについて、子どもたちに提案しようと思います。そうすれば、彼らの子孫にも(土地や文化が)受け継がれて行くのではないでしょうか。 |
| ミクロネシア連邦/ヤップ州 ワールドスクールウォレアイ(98/11/19) |
| <ミクロネシア通信034号より抜粋> みなさんからのライフスタイルに関する質問や関心事項を使って、今日、ルイス校長先生がクラスでディスカッションを行いました。最初に、桃山中学校の廣川先生や秀吉の鳥越さん、ジャスティン先生、マーク先生のメールを読みました。みなさんがウォレアイの社会の「精神面と物質的なゆたかさ」に感動していること、アメリカや日本といった国々が、葛藤に直面していることを知りました。 生徒たちは、「(ウォレアイで行われている)カルチャーの授業は、伝統的な生活を守るためだけではなく、進めていくためでもある。この小さな島では、自分たちの生き方は、自分たちや次の世代の人たちにとって、一番ふさわしいと知っているし、そう信じている」と答えました。また、彼らは自分のくらし方が好きだとも言いました。 |
| 米国/ミズーリ州 レイモンドビル学校(98/11/16) |
| “「こころ」の教育の大切さ” <担当者/ジャスティン・ムトラックより> 私たちの社会は、早く早く行こうとする、誰もコントロールできない列車のようです。誰も、私たちがどこに行こうとしているのか、次の折り返し点まで行き着くことができるのかわかりません。あまり考えずに、この乗車を楽しんでいる人もたくさんいます。もっと考えている人もいます。私たちのような環境に関する多くの教育者や活動家は、もっと考えています。しかし、私たちは、正しい方向に行っているのかわかりません。 私たちは、自分たちを、危機から危機へと動かしているような社会に身を置いているようです。私たちは、魚が死んでから、川のことを心配します。私たちは、絶滅しそうになったときに、クジラのことを心配します。私たちは、かなり汚れてしまってから、私たちが吸う空気のことを心配します。なぜ、私たちが本当に欲しい生活、私たちが大事に持ち続けたい価値観、私たちが共に達成したいゴールを私たちが決めることはできないのでしょうか。私は答えがわかりません。 私は、教育がカギだと信じています。世界中の若い人々は、自然の美しい世界の価値を学ぶべきです。彼らは、その科学、その美しさを学ぶべきです。 日本へ行った時に覚えた、”こころ”という言葉が忘れられません。”こころ”は、”ハート”を意味します。私にとっては、これは私たちの世界や社会に対する愛を意味します。私たちは、科学を理解できますが、もし、”こころ”がなかったら、私たちの世界を十分に気にかけず、適切な決定ができないでしょう。世界のすべての市民は、この愛を持つことが必要なのです。大きな会社が意思決定をするとき、彼らのこころと頭脳を使わなければなりません。ウォレアイ、日本、米国、フランスや、あちこちの生徒たちが決断するとき、彼らもこころや頭脳を使わなければならないのです。 |
| 日本/岡山県 何でも探偵団“秀吉”(98/11/17) |
| <担当者/鳥越裕子より> 私が1996年のミクロネシアプロジェクトから学んだことは、ミクロネシアがモノ(この場合は、天然資源を指しますが)と精神の両方のゆたかさを持っている、ということです。 日本は、天然資源がゆたかではありません。人々は土を耕し、上質のお米や野菜を作る、すばらしい土壌を作ってきました。時が経ち、第二次大戦後以降、日本は天然資源を輸入するようになり、それを加工し、製品を輸出して、お金を稼いできました。この過程では、効率が(人々に)求められ、人々は迅速に(物事を)行うことを強いられてきました。その結果、多くの問題が生じてきたのです。 また、私たちがより多くのモノを求めていくにつれ、私たちの精神は貧しくなってきた、と私は思います。大人たちは、大切なことはお金でも名誉でもなく「こころ」だと、たびたび言っています。しかし、彼らの行動を見ていると、お金や名誉が大切なんだと、子どもたちにおしえているような気がします。 そういう日本の現状を見ているからこそ、ミクロネシアの社会がモノと精神の両方のゆたかさを持っていることが信じられないのです。 ジャスティン・ムトラックさんがおっしゃっていたように、私も「教育」がカギだと思います。日本とミクロネシアの社会どちらの方がよいかとは、私には言えませんが、私たち大人は、現実とは何なのかを、子どもたちにおしえなければならないと思います。子どもたちは、現在の社会が当たり前だと思っています。ミクロネシアの人々の文化に出会わなければ、彼らは彼ら自身の社会が持っている現実に気づかないかもしれません。 ミクロネシアの人々が、しっかりとした教育の視点を持っていらっしゃることに、私は感銘を受けています。ミクロネシアの子どもたちは、彼らの島と文化を愛しています。そして、彼ら全員が、将来、社会の役に立ちたいと言っています。 今の日本において、そのような考え方を持っている子どもたちに、どれだけ出会えるでしょうか。日本の教育システムは、子どもたちに夢や希望を与えているでしょうか。私たち大人は、社会に対する子どもたちの愛情を育んでいるでしょうか。 ジャスティンさん、あなたが解釈された「こころ」は、正しいですよ。「こころ」とは、「愛情」なのです。 私たち自身の社会、土地、国に愛着を持つことは、人々が地球をよみがえらせることにつながります。 |
| 米国/テキサス州 ジョーイー・タリメリッシュ(ミクロネシア連邦ヤップ州イファリク島出身)(98/11/18) |
| <担当者/鳥越裕子より> 何でも探偵団“秀吉”の裕子さん、あなたは生活スタイルと社会に関する大変すばらしい意見を述べられました。あなたが書かれた「くらし」に関する議論を読んで、あなたがおっしゃっていたことに大変感銘を受けました。 ぼくが(エコクラブ主催の「ミクロネシアの青少年と共に未来を考えるプログラム」の)97年度参加者として(他の参加者たちと)議論したとき、ぼくは日本のホームレスの人々や貧しい人たちのことについて話し合ったことを覚えています。ぼくは、今でもホームレスの人々や貧しい人たちについて、別の日本人の生徒と話し合ったことも覚えています。ぼくは、彼らの貧しさに同情し、かわいそうに思うことを、その生徒に伝えました。 その生徒は、「日本の人々は、貧しい人々やホームレスの人たちのことを心配する時間がないのだ」と答えました。彼は、「そのような人々は、生活のために働こうとしなかったから、そのような方向で生きることを(自ら)選んだんだ」とも言っていました。彼はおそらく、彼の立場から、その問題に対して適切な返答をしたのだと思います。ぼくがホームレスの人々を見たのは、それが初めてでした。 そのような人々を(社会が)生み出してはいけないことを、これからみなさんにお話しし、理解してもらおうと思います。米国や日本、それに他の工業国には、富とまるで天国のようなすばらしい場所を持っている、とってもとっても裕福な人々がいます。それと同時に、貧しい人々もいます。何が原因で、そのような貧しい人々が生まれるのですか。それは、その社会が原因を作っているのでしょうか。それとも、貧しい人々自身が原因を作っているのでしょうか。 |
| 米国/ミズーリ州 レイモンドビル学校(98/11/18) |
| <担当者/ジャスティン・ムトラックより> 私たちは、「シンプルな生活」について、話し合いました。私たちの国には、アーミッシュ(訳注:プロテスタントの中でも厳格な教義を持つ小会派で、主に米国ペンシルバニア州、オハイオ州、インディアナ州、およびカナダに信徒を持つ。地味な服装、ガスや電気の不使用など、簡素で禁欲的な生活を送る)といった、宗教的なグループがいます。その人々は、彼らの宗教的な信仰により、より簡素な生活を送っています。たとえば、彼らは車に乗りませんし、電気を使いません。馬を使って、農業を行います。彼らは、学校に子どもたちを預けることより、家で子どもたちにおしえる方を好みます。 私の生徒たちは、このような人々がより簡素な生活を送っていることと、環境に対してより少ない影響を与える(生活を送っている)ことに同感しています。同時に、彼らが道路や水道、また直接的にしろ間接的にしろ、彼らが使っているその他の現代的な文明に依存していることも認識しています。彼らの何人かは、場合によっては(ガソリンを燃料とした)発電機を使っています。 このような人々はより簡素な生活を送っていますが、私たちを取り囲んでいる全てのものが複雑な生活様式で、たくさんのものを所有し、あまりにも多くのものを消費し、モノに対してあまりにも配慮が足りない中で、簡素な生活を選ぶのは、大変難しいと思います。 アーミッシュの人々は、彼らの信仰を通して、お互いを支えています。このことが、どのように彼らが彼らの生活スタイルを維持しているのかの秘訣なのです。私たちは彼らに対して敬服していて、そのような簡素な生活を長い間送りたいと思っている生徒も何人かいます。 (私の生徒の)誰もが、車やテレビをほしがりませんでした。たった1人の生徒だけが電気をほしがりました。半分の生徒が、電話をほしがりました。私たちのほとんどが、現代的なぜいたくをしないで過ごすために自分を律していないと、ときどき私は考えるのです。 ところで、私の生徒たちは、自然が大好きです。私たちは、自分をよりどころとしていますが、そのような(簡素な生活)方法では生活していません。多くの生徒やその家族は大きな庭を持っていて、いろんな種類の野菜を育てています。多くの人々が、シカ狩りに出かけ、魚釣りをします。しかし、結局は、私たち全員が、私たちが食べるもののほとんどをスーパーマーケットに頼っているのです。 米国において、「シンプルな生活」を送るのは、そんなに簡単ではありません。これは、日本においても難しいことだと思います。 |
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